薬剤師マキさん(37)との二回めデートで、本交際を申し込まんと意気込むシシ坊(42)。
告白の前に、自分がうつ病であることを打ち明けました。
果たして結果は……。
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■マキさんにも秘密があった

うつ病にかかってから婚活にいたるまでの二年間の経緯をマキさんに話しました。
25歳から40歳までの十五年間、三人の女性と同棲したが、その誰とも結婚しようとせず、
ついに最後の同棲相手に浮気され、40歳でひとり暮らしとなり、絶望してうつ病にかかったこと。
あたらしい彼女を作ろうと奮闘したけれど結果は全滅で、ついに追い詰められて婚活パーティへの参加を決意したこと。
「うん……うん……そうだったんだ……」

マキさんはさして表情を変えずに、淡々と話を訊いてくれます。
当時のシシ坊は二週に一度、心療内科に通い、抗うつ薬を飲んで治療していました。
マキさんを安心させるため、きちんと薬を飲んでいれば、社会生活に影響する症状は何も出ないということは伝えました。
ここ二年の精神状態はどん底でしたが、うつ病が原因で仕事を休んだことはほぼありませんでした。
うつ病の引き金があくまで失恋であり、仕事上のストレスではなかったので何とかなったという部分もあります。
それでも病にかかりたての頃は、仕事などまともにこなせる精神状態ではなく、はた目には何でもない顔をして働くことが地獄のように辛かったです。
ですがもし休職したり無職になったりすれば、彼女を作るのはかなり難しくなってしまいます。
そのため自活している社会人という地位だけは崩すまいと、必死に日々をしのいできたのです。
そのくらいの気概は自分にはあるのだということを、しっかりとマキさんにはアピールしました。
「話してくれてありがとう」

彼女はホッとしたような顔でそう言いました。
「まだお付き合いして間もないうちから、そういうことを隠さず話せる人ってあまりいないと思うよ」
(おお、期待どおりの反応だ……)

とシシ坊は思いました。都合のわるいことを隠さずに話す正直さをもってして、うつ病というマイナス要素を駆逐してしまおうという狙いが見事にハマったかのように思えました。
しかし話はその後、意外な方向へと発展していきます。
「シシ坊さんが告白したのなら、私もちゃんと云わなきゃいけないな……」

「え?」
「病気の告白ということだったら、私も話しておきたいことがあるんだ……」
(何っ!?)

つい今この瞬間まで、このデートは自分にだけ告白すべき秘密があるイベントかのように思い込んでいたので、シシ坊はマキさんの言葉に驚きました。
しかしマキさんもそれなりに人生を歩んできた人間、何かしらの秘密があって当然と言えば当然です。
いったい何を話すというのでしょうか?
ところがシシ坊が心構えをする前に、マキさんはいきなりそれを告白してしまいました。
「じつは私、パニック障害なんだ」
■マキさんはパニック障害

「パニック障害……」

シシ坊が言葉を繰り返すと、マキさんはたずねてきました。
「知ってる?」
「うん、少しは……」
何が出てくるのかと思いきや、さほど驚くことでもなかったのでホッとしました。
パニック障害という言葉のひびきはけっこうインパクトがあるため、知識のない人には何だかとんでもなさそうな疾患に思えるかもしれません。
ですがシシ坊はパニック障害にまったく馴染みがないわけではありませんでした。
それというのも、実はシシ坊の叔父がパニック障害にかかっており、そのふだんの生活や症状を、ある程度知っていたのです。
そのことをマキさんに話すと彼女は安心したようで、シシ坊の知らなかった真実を語りはじめました。
「美術館や水族館へ行こうって提案してくれたでしょ? あれ、実はパニックの症状が出るからダメだったの」

初回デートで葛飾北斎展へ行くことを提案して、マキさんに「興味ない」と一刀両断された件です。

その次に提案した水族館は「まあまあです」と云われ、失礼な発言に腹が立ったため、こちらから取り下げています。

しかしマキさんの云うところでは、せまい乗り物や密閉された建物の中に入ると、動悸や不安感といったパニック障害の症状を起こすらしく、いわゆるハコ物デートがほぼ無理だというのです。
飛行機も乗れないため、海外旅行は一度もしたことがなく、新幹線は数年前にどうにか乗れて、東京から宇都宮まで観光旅行に行くことはできたものの、それ以上の距離は難しいとのことでした。
その説明だけではちょっとよくわからないところがあったので、シシ坊は突っ込みました。
「でも、今こうやってレストランに入って食事してるけど、それは大丈夫なの?」
「うん、大丈夫」
「毎日の通勤電車や、ドラッグストアの調剤薬局の中もけっこうせまくて密閉されてるけど平気なの?」
「ひどい時はむずかしいけど、ふだんは問題ないよ」
「初日にデートした映画館は? 美術館や水族館とあんまり変わらないと思うんだけど……」
「途中で発作が出そうな気がしたけど、ぎりぎり何とかなった感じ」
(うーん、わからん……!)

いったいどういう建物や乗り物がダメなのか、大丈夫なのか、といった線引きがかなり難しいです。
本人の健康状態や、そのときの環境に左右される部分が大きそうでした。
ただ、マキさんの今までの不可解な物言いの理由がわかったので、シシ坊はホッとしました。
それにしても他にもうちょっと言い方があったのでは? と思いつつも、まあ納得はできます。
「いつからパニックの症状が出たの?」
「中学生の頃。高校受験でプレッシャーがかかったのが原因かなと」
そこから37歳まで抱えつづけているということは、もう病歴二十年以上です。
(だけど、そんな障害を抱えているようにはぜんぜん見えないな)
(おたがいに心の病にかかっているからこそわかりあえそうだ。大した問題じゃない)
このときシシ坊は、見た目の印象でマキさんを判断しました。
うつ病歴二年のシシ坊が、自分のとはちがう病気をわかったような気になって、その道二十年の叩き上げのメンヘラであるマキさんと「やっていける」と楽観的に判断したのです。
「俺は、ぜんぜん問題ないよ」
シシ坊はマキさんを安心させるためにそう伝えました。
「うつ病にかかってから、心の病のつらさがわかるようになったから、マキさんのことも、なまじ健康な人よりはわかってあげられると思う」

「そっか、良かった……。だよね、私も、うつ病のことは大丈夫だよ。支え合える気がするもの」

マキさんも安堵した笑みを浮かべてしました。
病気の告白は思わぬ好転を生み、雰囲気は一気に良い方向へと変わりました。
(いいぞ、これなら告白は成功する……!)
シシ坊はゆるがぬ確信を得ました。
告白に必要なエネルギーも、サムギョプサルでばっちり充填しました。
かくしてお会計をすませ店を出たあと、満を持して、焼肉屋の上の階のバーへと二人は向かうこととなったのです。
■キザな告白

結果から云うと、シシ坊の目論見どおり、バーでの本交際申し込みはあっさり成功しました。
20時という早めの時間で、店内には私たちのほかに客がおらず、静かで落ち着いた環境だったことが功を奏しました。
バーテンダーに告白の言葉を訊かれたら恥ずかしいという心配も、結果的には無用でした。
このバーは階下のサムギョプサル屋の系列店なのですが、店員は蝶ネクタイをしめたバーテンダーではなく、私服を着た韓国人留学生アルバイトとおぼしき女性でした。
彼女はお酒を出すとき以外、カウンターの奥でしゃがんでスマホをいじっていたので、会話を訊かれる距離にはいなかったのです。
かくして理想的なシチュエーション、カウンターでカクテルグラスを片手に、シシ坊は告白しました。
「マキさん、私と付き合ってもらえませんか」

前置きなしで突然云ったせいか、マキさんは突然フフッと笑ってうつむきました。
「え、いきなり来た……びっくりする」
彼女は恥ずかしそうにしつつも、答えを伝えてくれました。
「こちらこそ、よろしくお願いします……」

受けてもらえました。
うつ病エンジニアとパニック障害の薬剤師カップル、ここに爆誕です。
「バーで告白なんて、キザね……」
マキさんはとても嬉しそうに言います。
「でも、キザなの好きよ。私、90年代の女だから……」
そういう彼女のセリフが、まさに90年代のテレビドラマ風に聞こえました。
「俺も90年代の男だからね……きっと好きだと思ってたよ、ふふ……」
ふたりの間で、謎の90年代コンセンサスが交わされます。
婚活をはじめてから約一か月、初の本交際に突入です。
長く女性に飢えていたシシ坊は、ようやく正式な彼女を得たことに、天にも昇る気持ちになりました。
ここで、ふとマキさんが質問を投げかけてきました。
「ねえ、シシ坊にいちおう確かめておきたいことがあるんだけど、訊いていい?」

ごく軽いノリでそうたずねられました。
「ああ、何?」

シシ坊も軽い調子で訊き返しました。
しかし、この次にマキさんからたずねられた質問は、のちのち二人の関係に深刻な影響をもたらす、重大な要素をはらんでいたのです……。
続きます。
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